四日市南部丘陵公園薔薇園から

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zoom RSS 黄色の薔薇の物語

<<   作成日時 : 2008/02/08 23:06   >>

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 2008年2月8日(金) 天気は悪くなかったのですが、どこからか雪が吹き飛んでくる寒い朝でした。
 今日も薔薇園での共通作業はありません。
 師匠がメンバーの方達に剪定の基本説明をされていました。残すべき枝、良い芽の選び方、鋏の使い方などです。
 
 ということだけでは余りにも愛想が無いので、最近仕入れた黄薔薇にまつわる哀しくも美しいお話をご紹介しましょう。
 出典は「わが家のオールド・ローズ」小川次郎(MBC21、平成11年発行、四日市市立図書館蔵)です。 

 これは第一次世界大戦の頃の話です。
 フランスの著名な薔薇育種家ギョーとペルネ、ライバル同士の二人は折り合いが悪く、まるで互いにかたき同士のように反目しあっていた。
 (ギョー家は最初のモダンローズ=ラ・フランスを、ペルネ家は最初の黄色のモダンローズを作出したことで有名)
 ところがシェークスピアの小説のように、ギョーの娘マリーとペルネの息子クローデュは恋仲となってしまう。
 結婚の許しを得られないままにクローデュは戦場に赴き戦死、永遠に帰らぬ人となってしまった。
 悲しみに打ちひしがれた父ジョセフ・ペルネは気持ちを奮い立たせ、薔薇の改良に情熱を傾ける。1920年、彼は黄薔薇の作出に成功し、亡き息子の名前をつけて世に出した。
 スヴニール・ドゥ・クローデュ・ペルネがそれである。

 数年後ジョセフ・ペルネも亡くなり、仕事は弟子のゴジャールによって引き継がれた。
 ある日、ゴジャールがギョー家の温室を訪ねると、そこには薔薇の交配に取り組んでいるマリーの姿があった。
 尋ねると彼女は「自分の作出した薔薇にスヴニール・ドゥ・クローデュ・ペルネの花粉を結び付けようと5年も続けているのですよ」と応えた。
 この世で実らなかった恋を薔薇に託したいという彼女の気持ちを知ったゴジャールは協力を申し出て、新しい黄薔薇の作出に成功した。
 これはフォーリー・ベルジュールと名付けられシャンソン歌手ダミアに捧げられたという。

 残念ながら私達の薔薇園にはこれらの品種がないので写真をご紹介することが出来ません。
 どこかの薔薇園でこの花を見つけられた時は、是非この話を思い出してください。

 ところでスヴニール・ドゥ・クローデュ・ペルネは「黄香」という日本名がついています。明治から大正の頃には海外で作出された薔薇に日本名をつけることがしばしばあったようです。たとえば前出のラ・フランスは「天地開」との和名を持っています。

 ここで「ニッポン チャチャチャ」ということで、我が国の誇るべき黄薔薇「金閣」をご紹介します。1975年に岡本勘治郎さんが作出された名花です。 
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